座喜味城跡は、沖縄県中頭郡読谷村にある城趾であり世界遺産にもなっている史跡です。沖縄の城は「グスク」と呼ばれ城壁で囲まれることが多くなっています。
まるで強固な防壁を持つ異世界の村跡のように見えます。
本州とは異なる文化が形成されていた沖縄だからこそ見られるスポットです。
・城壁が見たい人
・非日常的な世界を味わいたい人
・沖縄の世界遺産を見たい人
座喜味城跡の様子を写真を添えてレビュー
駐車場に車を停めて、座喜味城跡へ
世界遺産になっていることはすぐにわかります。
しばらく公園の中を歩いていくと…
座喜味城跡の城壁が見えてきます。もう少し規模が大きければ城塞都市のように見えるのですが、そこまでの広さが無いので強固な防壁を持つ村跡と表現しました。
防壁に開けられたアーチ型の入口を通り中へと進みます。
防壁の厚みの分、入口のトンネルも長くなりますが、3メートル近くはありそうです。
それでは防壁の中へ
防壁の中に防壁が現れます。
ぐるっと防壁に囲まれていますが、奥に更に防壁があり中へと進めるようになっています。
最初のトンネルから見た奥の防壁のトンネル
奥の防壁のトンネルをくぐって奥の防壁の中へ
階段が用意されていて、防壁の上を歩けるようになっています。
防壁の上に立つとぐるっと防壁で囲まれているのがわかります。
そしてその奥には沖縄の海が広がっています。
こういう防壁で囲まれた場所を見るとついつい異世界漫画の世界を連想してしまいます。
当時、防壁の上には弓を持った自衛団がいたり…なんて考えたり
本州では見られない光景なので、凄い非日常感がある場所です。
座喜味城跡へ実際に訪れた感想
高台にあるので、沖縄の海も見渡せるビューポイントになっている座喜味城跡、晴れていればより美しい景色を見られるな~と、晴れた日にもう1度訪れたいと思いました。
また世界遺産の割に訪れている人が少なく(この時だけかもしれませんが)、のんびりと思想にふけるのにも良い場所だと思います。
城壁に上って海を見ながらぼ~っと過ごすのにも良さそうなスポットです。
他の世界遺産となっているグスク跡に比べるとやや大きさは劣ると感じるかもしれませんが、人が少ないことでより雰囲気は楽しめると思いました。
那覇空港からもそれほど遠くないので、沖縄に訪れた際には是非立ち寄ってくださいね。
座喜味城跡の詳細とアクセス方法
- 住所:〒904-0301 沖縄県中頭郡読谷村座喜味7086
- 電話番号:098-958-3141(世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアム)
- 見学可能時間:24時間(ただし夜間は非常に危険)
- 休日:なし
- 見学料:なし
- 駐車場:あり
- 参考サイト:座喜味城跡-読谷村観光協会
- 参考サイト:世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアム
- Wikipedia
アクセス方法・行き方
- 那覇空港から車で約1時間(一般道で約33km)
バスでも来られますが車でくるのがおすすめです。
飛行機で向かう人がほとんどだと思うので、那覇空港および送迎のあるレンタカー屋で車を借りて向かうことをおすすめします。沖縄は車がないと観光が非常に面倒です。
弊サイトの管理人は那覇空港近くでレンタカーを借りて訪れました。
座喜味城跡について
座喜味城は、15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸によって築かれたといわれる。護佐丸は当初、 座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり) 中山尚巴志の北山城攻略に参戦、北山攻略後は戦後処理のため一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120m余の名護層からなる台地を石灰岩の切石積で取り囲んで築かれてお り、城は2つの郭からなる連郭式の形態になっている。城郭内の面積は約4,012.51m²で、沖縄のグスクとしては中規模である。
この城には一の郭と二の郭にアーチの門が それぞれ一つずつ造られているが、アーチ石 のかみ合う部分、門の表と裏両面にクサビ石がはめられており、他のグスク等には類例がみられない。このことから座喜味城のアーチ石門が現存するアーチの沖縄で最古のものと見られている。
座喜味城跡は1972年の本土復帰に伴なって国の史跡に指定され翌年の10月から沖縄県ではじめて史跡整備事業が文化庁と県の補助を受けて開始された。整備事業に伴う遺構発掘調査がなされ成果を上げた、出土遺物は、グスク系土器と須恵器が少量、中国製陶磁器や古銭などがあり、これらの出土品中最も多いのは中国製の青磁と陶器で、これらの中国陶磁からみると、15世紀から16世紀までのものがみられることから、座喜味城は護佐丸が1440 年に中城城へ移った後も使用されたと考えられる。
遺構については一の郭の北側に間口16.58 m 奥行14.94mの石組が発掘され、この中に建物が建っていたと思われる。しかし瓦等は出土しない事から屋根は板葺か茅葺の建物であったと推定され、また一の郭内の南側では城壁を作る以前の柱穴群も発見され、出土遺物からそれほどの時代差はないものの、一の郭内 において2つの時期の遺構が確認された。
城跡は第2次大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、整備の始まった翌年返還された。城壁は1982年に修復を完了した。城壁の上に立つと首里・那覇をはじめ本島西側本部半島や東支那海に浮かぶ慶良間諸島・久米島・伊江島・伊平屋諸島が眺望出来る要害の地にある。
1400年代に作られ、その後日本軍やアメリカ軍が使ったとのことですが、今は世界遺産にもなり博物館まで併設され整備されています。
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